幼きさかいに迫られた究極の選択
幼稚園のころから小学校5年生まで、さかいは英会話教室に通っていた。
その英会話教室では、JOEだのMARYだのJUDYだの、生徒一人一人に英語の名前が与えられる。
生徒は与えられた名前が書かれたネームカードを毎週教室から持ってくるシステムになっている。
さかいが始めに与えられた名前は、JIM。
当時まだ5歳だったチビっ子が「お前はJIMだ。」と一方的に宣告される。
無論、当時JIMという名前に何の愛着も親近感もなかったが、それ以降、JIMと呼ばれれば返事をしなければならい生活になった。
さかいがJIMという二つ名を持つことに慣れてきた頃、事件は起こった。
さかいが通っていた英会話教室は2学年で一つのクラスを組む編成になっているのだが、さかいが一つ上のクラスに上がったタイミングだった。
教室に入ると、一学年上のメンバーがいて、少し緊張するさかい。
とりあえず、JIMのネームカードを取ろう。
………ない。
JIMのネームカードがない。
教室を見渡す。
一学年上の人がJIMのネームカードを使っているのではないか。
絶望。
自分の名前がない。
当初は愛着はなかったJIMも、数年間その名を背負っていたので、なんだかんだ愛着出てきていた。
にもかかわらず、JIMが他のわけのわからんやつに奪われている。
嫉妬。
おれだけのJIMじゃなかったのか。
しばらくすると、先生が入ってきて、さかいを含めた名前難民者が集められた。
まず、名前をJIMから変えないといけないという旨を話された。
どうやらここの英会話教室は年功序列制で、名前が被ったら新参者が譲ることになっているようだ。
当時まだ小学校低学年だったさかいに、JIMとの突然の別れを余儀なくされた。
そして先生は、余っているネームカードを適当にかき集めてきて、この中から新しい名前を選ぶように言ってきた。
当時まだサンタさんを信じていたさかいに、自分の名前を決めるという究極の選択を強いられた。
この選択が、少なくともこれからの数年間影響を与えるものだということは理解していた。
しかも、先生は食い意味に選択を促してくる。
急いでこれから数年間背負う名前を選択しなければならない。
よし、選ぼう。
判断基準は、雰囲気。
当時まだオカンと風呂に入っていたさかいに、外国人の名前の由来や有名な外国人、英単語などの知識は何もインプットされていなかった。
故に、判断基準は雰囲気の一点。
FRANKは長い。スペルを覚えるのが大変。
JOEもいまいち。ジョーカーみたいやし。
JACKもなんかハイジャックみたいでいや。
色々と熟考した結果、『無難さ』を買って『TONY』を選択。
これにより、JIMとしての生活に終止符が打たれ、新たにTONYとしての生活が始まった。
しかし、TONYとしての生活もそう長くは続かなかった。
TONYとして再び上のクラスに上がった際、教室にTONYのネームカードがなかった。
一学年上の人で、TONYのネームカードを何くわぬ顔で持っていっている人がいた。
TONYがTONYを睨みつける。
TONY-LIFEはわずか2年で幕を閉じることになった。
教室に先生が入る。
さかいを含めた名前難民者が招集され、新しい名前を選択させられる。
よし、選ぼう。
判断基準は、雰囲気。
風呂には一人で入るようになったし、サンタさんの存在にも疑念を抱くようになったさかいではあったが、外国人の名前の由来や有名な外国人、英単語などの知識はほとんど何も更新されていなかった。
まずそもそもこれはなんなんだ。
いきなり何の縁もゆかりもない名前を選択されるって。
日本語だと、「キヨシ、ケンゾウ、ヒロシのどれがいい?」と言っているようなものだ。
前回のTONYは『無難さ』を買って選択したため、今回は少し雰囲気を変えようかと思った。
そこで選択したのは『DICK』
DICKの魅力は、「ディック」に「ッ」が入っている点である。
日本語で「っ」が付く名前は存在しないのではないだろうか(「てっぺい」を除く)
適度にポップで元気な感じがある。
その上4文字なので覚えやすい。
こういった理由でDICKと名乗ることを決断した。
そして、DICKの名前は奪われることなく、無事に英会話教室を卒業したのである。