CARPE DIEM

今を生きる旅人大学生の記録・コラム。

転校って意外とメリットの方が大きいのではと思う

私は、今まで転校したことはないので、転校の寂しさのようなものは実感したことはない。

 

だが、もし私に子どもができたら、どこかのタイミングで”あえて”転校させるのもありなのかなと最近思ったりする。

 

普通、転校するのは親が転勤するからなどの、何らかの事情があって嫌々するものだと思うが、長い目で見れば、転校することによるメリットもあるのではないかと思う。

 

 

そのメリットとは、『コミュニティに溶け込む力』がつくことである。

 

ここでポイントなのが、『既に出来上がっている』コミュニティということだ。

 

つまり、『高校に入学』や『大学のサークルに入る』では、あまり意味がないということである。

なぜなら、それらは、自分以外にも”新しくコミュニティに入った人”はたくさんいるため、みんなが新たにコミュニティを作ろうとするので、それほどの努力はしなくても友達はできるからである。

 

それに対して、『転校する』や『新しいバイトを始める』などは、自分以外の人間は全員すでにそのコミュニティに属している。

つまり、彼らにとっては無理してコミュニティを拡大する必要がないのである。

 

そんな中で、ボッチでいたくなければ、いかに自分という人間を信頼してもらい、魅力を知ってもらい、受け入れてくれるように努力しなければならない。

すなわち、『自分を売り出す』ことが必要なのである。

 

この『自分を売り出す』ことは、就職活動や就職してからの仕事、異性を口説く時など、人生の様々な場面において必要だと感じる。

異性にしても友達にしても、『ギブアンドテイク』な関係だと思う以上、自分の魅力を知ってもらわないと関係性は広がらないと思う。 

 

 

もちろん魅力を身につけることも大事だが、それを売り出さないと意味がない。

『身につける』と『売り出す』は別物だと思う。

いくら自分に魅力があったとしても、それを相手に伝わるように売りに出せなければ、宝の持ち腐れで終わってしまう。

 

 

魅力を身につけるのは、学校での勉強&部活や趣味など、どこでも身につけると思うが、魅力を『売り出す』機会は、それほどないように思う。

特に子供の段階では。

 

 

これは学校教育の仕組みに問題があると思う。

ほとんどの授業はイスに黙って座って先生の話を聞くだけ。

美術などの実技科目でも、自分が描いた絵を提出して、採点されるだけ。自分がどんなことを絵に表現したのかが先生にきちんと伝わっているのか甚だ疑問に思う。

「小学校でも英語の授業を必修化すべきか否か」のような、五分五分に分かれそうなディスカッションなどはしない。「英語は大事!」と一方的に言われるだけ。

 

挙句の果てに、身近なアウトプットの手段であるTwitterとかも禁止させてくる。笑

(まぁやってる人いっぱいいますけど)

 

 

つまり、インプットばかりで、アウトプットの機会がほとんどないのである。

 

そして、インプットばかりの教育を何年もさせた挙句、就活では自分自身を売り出さないといけないのだから、そりゃ苦労するでしょうと。笑

 

 

そういった意味で、あえて転校させるのもありなのではないかと思う。

別に転校じゃなくて、知り合いのいないところでバイトを始めるとかでもいいが、子どもの段階でになかなか転校に代わる経験はできないと思う。

 

日本の教育制度が変わることなんかまったく期待できないし。笑

 

 

 それまでの友達と別れるのはもちろん辛いが、かといってその友達と一生つるむわけでもない。本当に密な関係でいるのはほんの一握りで、残りはどうせいつか連絡すら取らなくなるのだから。

ドライかもしれないが、実際そうではないだろうか。

 

そう考えると、転校することは、少なくとも子どもにとってはデメリットよりメリットの方が大きいのではないだろうか。

 

 できるだけ若い段階で、新しいコミュニティに入ることは必要なのではないかと思いました。