CARPE DIEM

今を生きる旅人大学生の記録・コラム。

今の学校教育について物申したい

中学の美術の授業で、『画力アップアップ』というシリーズの課題があった。

 

これは、毎回何らかのテーマが与えられ、それに沿った絵を色鉛筆で書いて提出するという課題。

当時、内申点を稼ぐのに必死なさかいは、頑張って絵を描いていた。

 

 

しかし、さかいは絵が下手くそなのである。

私のことを知る方なら想像もしやすいはずだ。

 

通知表も美術が一番悪かった。

テストで100点とったこともあったが、それでも通知表は10段階で8とかだった。笑

 

 

だからこそ、画力アップアップの課題は必死に取り組んだ。

 

だが、思うような評価を得ることができなかった。

 

課題の評価は、『A+』『A』『A-』『B+』『B』・・・『C-』のような形で付けられる。

 

 

さかいが出した課題は、大体『B』前後ぐらいの評価だった。

「十分やん!」と思うかもしれないが、これでは物足りなかった。

 

 

納得できなかった。

 

 

何に納得できないかったかというと、『B』という評価に対してではない。

 

何もコメントを残さずに、『B』と評価だけされたことに対してである。

 

 

自分の絵が下手くそなのは自分が一番知っている。

その下手くそな絵に『A』をつけろとは言わない。

 

 

でも、どうすれば『A』に近づけるのかを教師は示すべきではないだろうか。

人が必死に描いた絵を、『B』という評価だけで返却するのは、失礼ではないだろうか。

 

「美術を教える」教師として、評価基準や、評価を上げるためにどうすればよいかなどを示してあげるべきではないだろうか。

 

 

 

日本の教育ってこういう部分が多いように感じる。

 

美術に限らず、例えば音楽でもそう。

 

 

歌をみんなで歌うにしても、どこをどうすればより良く歌えるのかなどあまり示してくれないように思う。

 

歌を歌うテストでも、何もコメントを残さずにすぐに次の人の順番になる。

(コメントできないくらい下手やったんか?笑)

 

しかもコメントを残さないどころか、点数さえも教えてくれない。

 

これでは何もわからないじゃないか。

こっちは上手になろうとしているのに、どうすればいいのかわからない。

 

カラオケのデジタル採点の方がよっぽどためになると感じる。

 

 

書写の授業でもそう。

 

課題の言葉が与えられ、それを書く。後日、教室の後ろに飾られる。終わり。

 

いや、公開処刑してるだけやんw

っていう。

 

「この作品はうまい」「この作品はへた」というのは見たらわかるが、どうすればうまい作品になるのかを教師はしっかりと示すべきだと思う。

 

 

授業とは少し離れるが、「お前、字が汚い」っていうのそう。

 

それって、「お前、数学の点数ひっくww」って言っているのと同じだと思う。

悪口を言っているのと大差ないと思う。

改善点を示していないから。

 

それを親や学校の先生が平気で言うから今考えると愕然とする。

 

 

学校教育に限らずだが、「問題点」を示すだけでは「批判」のまま。

その問題点の「改善策」まで示してあげるのが、「提案」であり、教師が行うべきことだと思う。

 

 

あ、一年半ほど前にもインターン先でこんなことエラソーに語っているので見てね♡

www.miraidenshi-tech.jp

 

 

 

それと、最初の美術の画力アップアップの話には後日談があります。

 

美術の期末テストで、

「普段の授業に対する感想を自由に書いてください」

という欄があった。

 

「これは、書くしかないw」

と思った。

 

「画力アップアップで、自分が必死で描いた絵を『B』とか『B-』とかの評価だけで返却されても、どう改善したらいいのかわかりません。そもそも評価基準がわからないので、何を心がけたらいいのかすらわかりません。きちんとした評価基準や、コメント、優秀作品などを紹介してほしいです。おかげさまで私は画力アップアップにアップアップ状態です。

と自由記述欄いっぱいに改善策まで示して書いた。

 

すると、返却されたテストの自由記述欄には評価基準がきちんと先生から記入されていた。

先生からも直接「ごめん」と言ってくれ、評価基準などを説明してくれ、最後に「やり方を考える」と言ってくれた。

 

うれしかった。

 

 

結局、この『画力アップアップ』は、その一件以降、課されなくなった。笑

まあ、全員の作品一つ一つにコメント書くのはだるすぎるよな。笑

 

おしまい。