日本語が行き交うパラグアイのとある街の秘密
日本に忘れてきたものリスト
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どうも、さかいです。
リアルタイムはサンタフェというところにいます。
またまた居候アプリのカウチサーフィン利用しています。笑
こっちはまだパラグアイ編ですね。
前回の記事(https://sakaisensei.hatenablog.com/entry/2018/10/11/202050)でパラグアイに到着したものの、パラグアイは何もない&宿の宿泊客が私一人という、ぼっちの極みのような状況に陥ったさかい。
まあ、私は一人っ子ということもあって、一人の時間が必要だったりする。
南米に来てから「居候→共同農民生活→共同農民生活した仲間と観光→居候」と過ごしていたので、一人になるのは実質初めて。
うん、今まで一緒に過ごした方々はみんないい人だったけど、やっぱり一人の時間は必要。
将来もし結婚したらどうしようと思ったりする。
「僕ちゃん一人の時間が欲しいので3日ほど家を出てください」とか嫁にガチで言っちゃうかも。笑
まあいいや。パラグアイの話。
とりあえず街を歩く。
うん、やっぱり何もない。
とりあえずスーパーにでも行くか。
お?
これは・・・?
安いぞ・・・!!
・靴下一組50円
・米1キロ100円
そしてなんといっても、おビールが一缶50円で売っているではないか。
パラグアイ、めっちゃいい国♡(単純)
これまでいたブラジルの物価が高かっただけに、余計に嬉しい。
そして、これから行くアルゼンチンの物価と高いので、調子に乗って大量購入。
- 米1キロ
- パスタ400グラム×2
- トマトソース×2
- 缶詰め×3
- うどん
- 塩コショウ
- クッキー×2
- ビール×2
- 歯磨き粉
- 靴下2組
- セロハンテープ
もちろん、パラグアイで消費するのではなくするアルゼンチンで自炊するために購入。
荷物が増えて重くなったのは言うまでもない。笑
ここで、買ったものリストを見て、「うどん!?」と思われた方がいるかもしれない。
なぜうどんが売ってあるかというと、ここは日本人の街だからである。
戦後貧しかった日本が、政府の政策によって移住してきた街の一つなのである。
だから、街では日本語が普通に行き交う。
見た目もパラグアイ人でも、日本語が少し話せたりする。
街の地図はこんな感じ↓
(ペンション園田さんのサイトより)
ラーメン屋も居酒屋もカラオケ屋もある。
これだけを見ると、完全に日本。
そんな街の歴史が残されている移住資料館に、自身が館長を務める、宿泊先の園田さんに連れていってもらった。
もちろん様々な資料もおもしろいのだが、それよりも園田さんの解説に心が奪われていった。
戦争に負け、貧しくなった日本。
国民が安定した生活を送れないと判断した政府は、南米各地の土地を購入して、国民を移住させることに。
豊かな生活を求めて移住した日本人達。
しかし、想像していたものとは違う世界だった。
彼らは、森林を開拓して農業を始めることを強いられた。
政府は「ウソ」はついていないものの、「真実」は伝えていなかった。
それでも、苦労を重ねて軌道に乗せる。
しかしまた直面する、現在の課題。
園田さんの社会科の授業は、今まで受けたどの社会科の授業よりも面白かった。
日本の社会科の授業は「地理」「歴史」「公民」と互いに独立して別の科目のようになっているが、園田さんの話はそれらが互いに結びついていた。
それと思ったのは、日本の歴史の教育って、戦後からの内容があっという間だということ。
その時代から学べることがたくさんあると思うのに、もったいない。
あと、園田さんの言葉に一番心にきたのは、「今の若者に一番伝えたいのは、子どもをたくさん作ってほしいということ。それが、高齢化や経済の縮小への対策になる。」
結婚願望のないさかいの心にグサッと来ました。笑
園田さん、ありがとうございました!
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