CARPE DIEM

今を生きる旅人大学生の記録・コラム。

私は教師に100%なりません。

パラグアイで泊まった宿に折り畳み傘とS字フック忘れた…

 

どうも、さかいです。

 

ブエノスアイレスからプエルトナタレスまでのバスに乗りながら書いています。
36時間ぶっ続けで乗車です。
目的地着く頃にはおしりが8つくらいに割れているかもしれません。

 

そして、暇です。笑
渾身の記事を書こう。(いつもがんばって書いてるけど)

 


今回は旅とは関係のない話を。
テーマは、「先生」。

 

私のブログのドメイン(www.~~~~~みたいなやつ)は、「sakaisensei.hatenablog.com」である。


しかし、私の世間的な身分は、大学生。

なぜ「sensei」というワードを入れたのかというと、少し長くなるので割愛するが(笑)、きっかけはアルバイトで塾の先生をしていたからである。

塾講師のバイトといっても10~25人程の集団授業、周りの講師やスタッフは基本的に社員なので、本格的なほうだと思う。
もちろん、生徒からは「先生」(または「せんせぇ〜」)と呼ばれる。
大学に入学してからずっと先生をやってきたので、こう呼ばれるのにも慣れた。

 

ちなみに大学の専門が数学の私が教えている科目は、英語。笑
数学で申し込んだが、人数の関係上で英語になった。
まあ、先生なれるならどっちでもよかったんだけど。


でも、今振り返ると、英語科の先生で良かったです!!!(英語科の先生、見ていますか〜〜!!)

こうした理由で、ドメインにsenseiをつけた。

 


まあ、言いたいことはそんなことではないんです。←

 


よく、「学校の先生になるんですか?」って聞かれるんですよ。
大学の専門が数学だし、教科は違えど塾講師バリバリやっているし。


でも、私は学校の先生にはなりません。
100%なりませんね。

(塾の先生は5%くらいでなるかも笑)


今日のメインはその話。
結構主観強くなります。


学校の先生になりたくない理由は、大きく3つ。

 

①訳のわからん制度が多い

少し前にネットで見てドン引きした制度がこちら↓

学校『指定するノートの全ページに赤ペンで線を引いて連絡帳を作ってください』なぜこんな苦行を?市販の連絡帳じゃダメなの?など疑問の声 - Togetter

要するに、学校で使う連絡帳を、学校が指定した線なしのノートを各自で購入して、全てのページに罫線を4本ずつ各自で引いたものを使うという制度。

こんなん小学生でもわかる。「罫線付きの連絡帳買った方が早い。」
文房具屋さんとの癒着のにおいがプンプン。


まあこれは酷すぎて例外になるかもですが、他に思う例だと、「置き勉禁止」
置き勉禁止のクラスは割と多いと思うが、これもよくわからない。

もちろん、宿題で必要な教科書やノートを持って帰るのは当然だが、理科の資料集とか書写のテキストとかは置き勉していいんじゃないの?
おそらく学校側の言い分は、「家で復習するから」だろうが、美術や家庭科をどう復習するねん。笑
そもそも、「宿題=授業の復習」ではないのか?

だいたい先生らは自分の教科書おそらく置き勉しているはずなのに、よく言えるよねーと、中学生ぐらいから思っている。


この他にも、制度ではなく風潮的なものも含めて、

  • 風邪を引いている時以外は制服は年中半ズボン(小学校)
  • 大人なしで校区外へ出てはいけない(小学校)
  • トランプなどを持ってきてはいけない
  • 順位を決して出さない
  • 気の合わない人ともみんな仲良くしよう

などなど、いろいろ思い当たる。

こういった自分でも疑念を抱く制度を、生徒に「押しつけ」することは、私はしたくない。

それが、学校の先生になりたくない理由の一つ目。


②訳のわからん制度を作る人達

こうした制度を作るのは、学校職員やそれより上の立場の人。

 

以前、小学校の先生を途中退職して世界一周している方と、話をしていた。
その方は、良い意味で小学校の先生っぽくなく、色々アイデアを出して実践している。(やっぱり旅人ってひとクセある人多い。笑)

 

例えば、教室に牛乳瓶のフタがあちこちに落ちているのを解決するために、瓶のフタを入れたらルーレットが回って、当たりが出たらシールがもらえる装置を自分のクラスの教室に作ったらしい。
かっぱ寿司の、皿を回収する装置の簡単バージョンって感じ。動画見せてもらったけど結構すごかった。
すると、次の日から教室に瓶のフタは一つも落ちていることはなかったらしい。

 

他にも、給食当番が早く着替えて給食室まで取りに行けるように、チーム制でどのチームが一番速く準備できるか競わせたらしい。
結果、どのクラスよりも速く給食室に向かうことができるようになったらしい。

 

こうしたアイデアは画期的で、褒められるべき、マネされるべきであると考えるのが普通だろう。

 

しかし、いずれのアイデアも、周りの先生達の多くは否定的だったらしい。

理由は、「私はそんなのできないから。」

 

いや、もう意味がわからない。
前者のアイデアはまだしも、後者ならできるはずなのに。

というかそもそもマネできないからやめてと言うのがズレている。
それ、プロ野球だったら相手に「おれ、その変化球打たれへんから投げるのやめて」と言ったり、ポジション争いをするチームメイトに「おれ、そんなに速く走られへんからゆっくり走って」と言っているのと同じ。
スーパーだったら、同じ商品をどのスーパーも全く同じ値段で売らないといけないようなもの。

 

「私はそんなのできないから。」と言った先生に言いたい。
学校は、あなたのためではありません。生徒のためのもの。
そして、マネできないなら、あなたが独自の魅力を出せば良いだけのこと。

 

全員が全員、そういう考えの先生ではないが、大半がそうであるのが非常に残念。

イデアマンの旅人先生と飲んでいて、「教師って、新しいものを禁止するの大好きですよね〜」と言ったら、「おれも今それ言おうと思っていた。」と、激しく共感してくれた。

 

IT化などで、塾を始めとする私教育の形態は変わっていく中(映像授業とか)で、学校教育はほとんど何も変わっていかないんだと思う。


新しいことを始めようとしても、「今のままでいい」と保守的な立場を取る人。
それって、あなたが変化に対応できないから"あなたが"このままがいいだけじゃないの?

 

もちろんこういった保守的な人は、どんな業界にも一定数存在するが、学校職員のその割合は高いと思う。

 

そして、「制度が嫌なら変えればいい」のだが、単なる教員では正直、限界があると感じる。
教育委員会や、それよりもっと上の立場の方が決めていることが多いから。


これが、学校の先生になりたくない理由の二つ目。
周りの職員や上層部の方とうまくやっていける気が全くしない。

 

 

③もっとデカいことをしたい

決して教師のやりがいは小さいとは思わない。
けれど、もっとデカいことをし、もっとたくさんの人に影響を与えたい。

 

自分で言うのもアホらしいが、私はここまで頑張ってきたつもりだ。
中学のときはサッカー部の部長を務めながら勉強もやり、学区ではトップの公立高校へ進学。
高校入学後は、正直思っていたほど楽しい高校生活ではなかった。
サッカー部の顧問からは毎日のように理不尽に怒られ、そのせいもあってサッカー部の仲間とは何か溝のようなものを感じた。
家に帰れば、親が毎日のように夫婦喧嘩している。
「こういうことやから」と、目の前に離婚届を見せられたこともある。(結局離婚はしなかったが。)

 

そんな中でも、勉強は頑張った。
成り上がるために。

 

そうやって掴んだ大阪大学
大学での生活はこちらもこちらで、クソおもしろくないが、自分なりに色々なことに挑戦してきた。
いわゆるエリートコースとは違う道方向に進みそうやけど。

 

私は学歴はどうでもいいと思う人だが、今まで勉強というものを頑張ってきた以上、社会に出たら教師よりやりがいが大きくて、楽しい仕事をしたい。

 

誤解されないようにもう一度言うが、教師の仕事がやりがいがないとか、おもしろくないとは決して思わない。

私の望みがそれより高いだけ。

変わりゆく時代の中で、何か新しいことをして、影響を与えたい。
具体的に何をするかは決まってないけど笑

 

そんなことで、私は教師にはなりません。

 

 


あ、あとこれは余談ですが、小学校一年生の時に「先」という漢字を使った文を書く欄に、
「ぼくは、学校の先生になりたくない。」
と書いていた。

そのときのさかい少年は、何を思って、教師を嫌がったのかは本人にも謎である。

 

 

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サンパウロで散歩中に撮影

 

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