CARPE DIEM

今を生きる旅人大学生の記録・コラム。

このブログのタイトル、『CARPE DIEM』とは。

南米の人はそこら中でサッカーをしているという偏見は日本人が毎日寿司食ってるという偏見と大差ないと思う。

 

 

どうも、さかいです。

 

 

リアルタイムは、ボリビアのビジャソン。

 

とうとう5ヶ国目、ボリビアへ入国。

 

 


結婚式で、「あなたは新婦(新郎)を一生愛することを誓いますか?」というセリフがある。


こいついきなり何の話をしだすねんって感じやけどまあ聞いてや。笑


これにマジレスするなら、私は誓うことはできない。


なぜなら、今はめちゃめちゃ愛していても、10年後も愛しているとは限らない。

10年後でなくとも、1ヶ月後でもわからない。


極端な話、新婦が突然グーパンチして奇声をあげておしりペンペンしながらアッカンベーしてきたら、私は一瞬で嫌いになるだろう。笑

 


まあそんなことはほぼあり得ないが、結婚生活は結婚してみないと結局どうなるかわからないと思う。


日本の離婚率はいくらかご存知だろうか?

約30%である。

 

もちろん色んな事情があって決断するのだろう。

ただ、共通して言えるのは、はじめから離婚するつもりで結婚したはずがない。


結婚していないし、結婚願望すらない私が語ることではないか。笑

 

 


結局何が言いたいかというと、未来のことは未来にならないとわからないということ。

 

 

 

このブログのタイトルは、『CARPE DIEM』

 

私の座右の銘でもある。

 


これはイタリア語で、「今を生きる」という意味。

その日を摘め - Wikipedia

 


イタリア語に縁もゆかりもない私がこの言葉に出会ったきっかけは、ある人物である。

 

 

元サッカー選手、中田英寿さん。

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画像はWikipediaより(中田英寿 - Wikipedia

彼は高校卒業後Jリーグに入団し、20歳のときに中心選手として日本代表を初めてワールドカップへと導く。


これ、ヤバいですよ。
20歳で日本代表の中心選手になるって。
22歳のさかいは何してるねんって感じる。笑

 

 

話が逸れた。

 


その後も、イタリアのクラブチームなどでプレーし、日本代表でも2002&2006年ワールドカップでも主力として活躍。


そして、その2006年ワールドカップで現役を引退。


世界を旅することに。


そのとき、自分は日本のことを全然知っていないと実感し、今度は日本の各地を旅することに。


現在は、様々なジャンルのお仕事に携わっている。

 

 


そんな中田英寿さんの座右の銘が、『CARPE DIEM』

いくら天気予報があっても、明日の天気は明日になってみないとわからない。


10年後、自分が誰とどんな風に過ごしているかわからない。


ひょっとすると、この世にはいないかもしれない。


未来のことは、考えてもわからない。


だったら、『今』というこの時間を精一杯生きることが大切なのではないか。


中田英寿さんは、そう語っていた。

 


私はかつては、そんな生き方をしていなかった。


むしろ未来のために今を犠牲にしてきた。

 

 

中学生のときは高校に入るために真面目に勉強し、高校生のときは大学に入るために真面目に勉強した。


特に高校生のときは、めちゃめちゃ勉強した。


周りは勉強だけではなく遊びも両立させようとしている人が多いなか、私は勉強だけに打ち込んだ。

 


それは、大学で楽しむため。そして、社会に出て安定したいい仕事に就くため。

 


前にも少し言ったが、私の高校生活はそれほど楽しいものではなかった。

 

サッカー部の顧問には、ワンプレーごとに止められ指導される。

「サカイ!サカイ!サカイ!」

と毎日のように言われる。

 

隣で練習しているハンドボール部でも私が指導されているのは有名なくらいだった。笑


もちろんそれは、私に期待をして指導しているのだが、わかっていても嫌なものは嫌だ。

 

そんなこともあってか、サッカー部とのみんなとはそれほど仲良くなれなかった。


仲が悪い訳では決してないが、お互い何か気を遣っている感じで、距離ができてしまう。

 


そして家に帰れば、親が夫婦喧嘩している。


親父には「こういうことやから。」と離婚届を見せられる。


結局離婚はしなかったが、夫婦仲はずっと悪かった。

 

私が大学に合格した日の晩にも夫婦喧嘩が始まって台無しになったのは一生忘れない。

 


一人っ子の私にとっては、かなり辛かった。


相談できる相手もおらず、ずっと一人で苦しんでいた。

 

親父に「おまえが笑っているのを最近全く見ない。」とも言われた。

私は「おまえのせいでもあるけどな。」と内心思ったが黙っていた。


もちろん、楽しい思い出もあった。


遠足や文化祭などは楽しかった。

顧問に指導されまくってみるみる小さくなる私を嫌な顔をせずに受け入れてくれたサッカー部のみんなには本当に感謝している。

 


しかし、それでも思い出すのは、嫌な思い出。

 


高校卒業間近のとき、アンケートで、

「自分の高校生活の満足度は100点中何点ですか?」

という項目があった。


私はそれに「50点」と書いた。


当時、大学入試の合否がまだ出ていなかったので、期待値をとって50点にしたのだが、周りの人に「ひくっ!」と言われた。


なんとか第一志望の大学に合格したから、70点ってとこかな。

 

それでも周りは80点以上の人がほとんどだったから、低い方だろう。

 

それぐらい楽しくなかった高校生活。

だからこそ、勉強は頑張った。

今が楽しくない分、いい大学に入って大学生活を楽しみ、いい企業に就職して楽しんでやろうと。

だから今は苦しんでもよい。

未来のために、今は苦しむ時間。

そう思って、勉強しまくった。

 

そして、第一志望の大阪大学に合格。

 

大学生活のスタート。


くっそ楽しんだるぞぉぉぉ!!!
と思って入学した大学。

 

 

だが。

 


くっそおもしろくない。

 


塾講師のバイトや、海外に行くのは楽しんでいるが、大学での生活はくっそおもしろくない。

自分が苦労して入った大学がこんなところなのか?

心の中で何かがずっと引っかかっていた。

 

大学三年の夏。

ついに大学に行かなくなる。

1ヶ月まるまる行かなくなる。

今振り返ると、ただ大学がおもしろくないからだけはでなく、今まで積もり続けた心のモヤモヤが一気に爆発したから起こした行動なのだと思う。

 

大学に行かず、ブラブラして家に帰る。

テストにも行かなかったので、もちろん留年。

大学を辞めたいと親にも話したが、真っ向否定され、それを押し切る勇気もなかった私は、秋から再び大学に行く。

もちろん嫌々。

 

この事件がきっかけで、私が抱えていた親に対する不満も爆発。

 

大学&親が嫌で嫌で仕方なかった去年の今頃は本当にキツかった。

 

毎週大学のスクールカウンセラーに通う生活。

家に帰るのが嫌で毎週日曜日はホテルに泊まってそこから通学する生活。

 

それでも心は追いつめられていった。

 

酷いときは鬱病の一歩手前までに追いつめられていた。

 

大学に行くだけなのに吐きそうになる。

家に帰るだけなのに涙が出てくる。


それぐらい嫌で嫌で仕方なかった。

 


そんな風になって、考える。


高校に入るために頑張った中学生活。

大学に入るために頑張った高校生活。

 

でも、高校も大学も楽しくない。

どちらも自分が目指していた第一志望の学校なのに。

 

 

では、大学で頑張るのは何のため?

 

いい仕事に就くため?

じゃあ、その仕事が楽しくなかったら?

 

 

そう考えると、未来のために今を犠牲にする気にはなれなかった。

 


だからこその、中田英寿さんの座右の銘

「CARPE DIEM」

 

 

今を生きる。

 

過去の自分の余韻に浸るのでもなく、未来の自分のために今を犠牲にするのでもなく、今を生きる。

 

自分の生き方を大きく変更することにした。

 

 

結局大学は、何とか行くようにした。

将来のためではなく、大学生である特権を生かして大学生である今をできるだけ楽しむようにしている。

 

親との関係は......治る気がしないけど笑

 

 

「CARPE DIEM」

今を生きる。


これからは私もこの言葉を座右の銘とし、『今』を楽しく、全力で生きることにした。

 

 


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(エル・カラファテの空)

 

 

 

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