CARPE DIEM

今を生きる旅人大学生の記録・コラム。

子どもを守るのではなく自立させるのが親の役目だと思う。

SMAPの中では草彅くん似と言われました。

 

 


どうも、さかいです。

 

 


ペルーのゲストハウスの管理人生活7日目。

 

 

 

先日、Twitterを見ていたらこんなツイートを見つけた。

 

 

要約すると、

・算数の問題で6÷8を分数の形で答える問題を
・ある生徒は約分を行って3/4と答えたが
・約分はまだ未習内容なので先生はバツにした
(先生的な答えは6/8)

 

要約というか、これが全てなんだけど。笑

 

 

これに対して、色んな声が挙がっている。

 

「3/4の何が間違いなんだ!」

とか、

 

「答えが合えばいい話ではない!」

とか。

 


今日はこれについて私がどう思うかを書いていく。


結論はここでは書かず後で書ので、最後まで読んでね。笑

 

 

 

【3/4の何が間違いなのかという意見に対して】

この意見は理解できる。

 

6÷8は、3/4である。

 

これを×にするのはおかしいという意見は理解できる。

 

 

 

【答えが合えばいい話ではないという意見に対して】

それに対して、こちらの意見も理解できる。

 

学習というものは、小さなステップを一つ一つ踏んで発展していくもの。

 

 

今回の割り算なら

ステップ①:割り算を分数で表す
ステップ②:分数が約分できるなら約分する

の二つのステップにわかれる。

 

今回のテストでは、ステップ①しか習っていない段階。

 

ステップ①を習得しているかを問うテスト。
それを判断するものは「6/8」という分数。

 

これに関しては3/4という分数は全く役に立たない。


ステップ①を理解していないと判断してバツにするのも理解できる。

 

 

 

【結局何が問題なのか】

マルにする気持ちはわかるといい、バツにする気持ちもわかる。


うん、完全に二股だね。笑

 

 

まあ、どちらか一つ選べと言われたら、私ならマルにする。


なぜなら、この生徒は途中式で6/8をきちんと書いているので、「割り算を分数で表す」というステップは理解できているはずだから。

 


…………でも、言いたいことはこれではない。

 

ここからが本番。

 

 

 

本当に問題があるのは、

『教育制度』

だと思う。

 


あまりにも大きく差のある40人の集団を1つのクラスにまとめて授業をするのが効率が悪すぎるんだと思う。


勉強ができる人には退屈だし、できない人は全くついていけない。

 

・レベル別クラス
飛び級

を学校教育でも設ければいいのにと思う。

 

 

はいはい。

言いたいことはわかる。

 

「レベル分けするなんて下のレベルの子どもがかわいそう
でしょ?

 


もし実際にレベル分けや飛び級を設けようとしたら、間違いなくこれを言う人は出てくるだろう。

 


そんな人に私はこう言いたい。

 


「レベル分けをせず一つのクラスに縛り付つける方がよっぽどかわいそう」

 

 

幸か不幸か、私は今まで『めっちゃできる層』も『全然できない層』の両方を経験した。

 

まず、めっちゃできる層。

 

こちらは、めちゃめちゃ退屈。

 

中学生のときがそうだったが、授業が遅すぎて退屈すぎる。

・・・かといって内申点があるので、内職したり寝たりはできない。


だから私は、授業を『聞いているフリ』をしていた。

 

内容は既に理解しているので興味もないし役にも立たない先生の授業を聞いているフリだけして、ほとんどはそのまま受け流していた。

 

当時、ウイニングイレブンというサッカーゲームが好きだったので、

「帰ったら今日はこのチームをこんなフォーメーションでこういうテーマで試合をしよ~♪」

みたいなことをずっと考えていた。

 

レベルの高い人にとって、学校の授業はあまりにも退屈でムダな時間だと思う。

 

 

それに対して、全然できなかったのは大学のとき。


全員ではないが、エラーイ教授たちの授業は、全然理解できない。


「わからないのなら質問しろ」

と言ってくるのだが、スワヒリ語を全く話せない私がスワヒリ語オンリーで授業を受けているようなものなんだよね。


何がわからないかすらわからない状態。

 

それだと質問も出ねえよ。笑

 

 

まあ私の話はどうでもよくて、言いたいのは「レベル分け(もしくは飛び級)が必要」だということ。


レベルの高い人にとっては、退屈。
レベルの低い人にとっては、チンプンカンプン。

 

いずれにせよ、時間のムダになっているのである。

 

 

「レベル分けするなんて下のレベルの子どもがかわいそう」

そういう風に言う親はいるが、レベル分けをせずに授業をすることは下のレベルの子にとっては、リードで無理やり引きずりながら犬の散歩をするようなもの。

マジで勉強できない層にとっては車で引きずられているようなもの。

 

 

そんな状態と、同じレベルの集団に分けて授業をするのでは、どっちがかわいそうかと言われれば、明らかに前者だろう。

 


そしてそもそも、「かわいそう」と言う親は、"親自身が"かわいそうだから言っているんじゃないの?って思う。

 

 

つまり、下のクラスになった子どもがかわいそうなのではなく、下のクラスになった子どもを持つ自分がイヤだという親のエゴなんじゃないの?


私は、そう思う。

 

 

どっちが子どものためになるんだ。

 

甘やかすことが優しさではない。

 

社会に出ると必然的に競争になるんだから、甘やかすと社会に出たときにツケが回ってくるだけ。


いくら親とはいえど、その子の面倒を一生見るわけではない。

 

親でない私が言うのもナンセンスかもしれないが、親の助け無しでも子どもが生きていけるようにするのが親の役目じゃない?

 

 

下のクラスになってもいいじゃん。

上に上がれるように頑張ればいいだけじゃん。


むしろそういう経験は貴重だと思うよ。

 

 


自分の子どもが下のレベルに成り下がることがイヤだという親のエゴが、子どもが社会に出たときに競争できなくなっていて淘汰されていくのだと思う。

 

 

子どもであっても適度に現実は見せるべき。

 

幻想でごまかし続けていると、社会に出て現実にいきなり直面したときの耐性がないため潰れてしまう。

 

 

だからこそ、レベル別クラスや飛び級制度を私は推奨したい。

 

 

 

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