ハムとチーズのサンドとハムとチーズとパンという献立の背景を真剣に考察してみた。
外国人が私の名前を呼ぶと、大抵「SOMA」になる。
どうも、さかいです。
リアルタイムはチリの首都、サンティアゴ。
都会は快適で良い。
今日はある議題について考察していきたい。
(あ、つまりバカ話です。笑)
南米の長距離バスは意外と快適で、機内食が出るときがある。
飛行機のエコノミークラスからちょっとだけクオリティーが下がった感じ。
南米のバスについて調べていると、機内食が摩訶不思議なメニューだったという記事を見かけた。
アルゼンチンの長距離バスの食事クオリティー | 新しい旅に出る準備はいつだって出来ている
この記事によると、機内食の献立は、ハムとチーズのサンドイッチとハムとチーズとパンだったらしい。
わかりにくいので言い直そう。
機内食の献立は、
- ハムとチーズのサンドイッチ
- ハム
- チーズ
- パン
だったらしい。
(先ほどのURLの記事より)
なぜ、
- 挟んでいるもの
- 挟んでいないもの
が共存しているのか。
私が実際にこれを目にしたわけではない。
だが、ブログ記事を見る限り、ハムとチーズは挟んでいるorないもので同じ種類。
パンに関しては少し種類が違うが、味はなさそう。
なぜ、このような献立になったのか。
チリのドローカルな食堂で一人で真剣にブレインストーミングした結果、10個の仮説が出てきたので、ここに紹介する。
- 【①パン挟み係が挟むのを忘れていた】
- 【②パン挟み係の怠惰】
- 【③パン挟み係の寝落ち】
- 【④職場の労働環境が良かった】
- 【⑤職場の財政状況が悪かった】
- 【⑥挟む楽しさを共有したかった】
- 【⑦乗客の自立を促したかった】
- 【⑧素材の味も味わってほしかった】
- 【⑨プロモーション活動の一つだった】
- 【⑩ケイスケホンダ的な視点】
【①パン挟み係が挟むのを忘れていた】
パン挟み係とは、何者なのか。
その名の通り、パンを二つに切り、その間にハムとチーズを乗せる係である。
通称、画竜点睛的役割。
私は機内食の会社のことは何一つ知らないが、こうした『パン挟み係』を担当する者がきっと存在するはずである。
その係は一日中、パンに具材を挟み続けるのである。
そのパン挟み係が天然な人だったら、どうなるだろうか。
きっと、一人前につき二つパンを挟まないといけないところを一つしか挟まず、
「料理長!挟み終わったッス!」
と報告するだろう。
料理長も天然で、早すぎる挟み作業を疑うこともなく、
「グッジョブ!」
と言って作業を終わらせたのではないだろうか。
むしろ、二つのうち一つはきちんとサンドイッチになっていたことが、
『グッジョブ!』
ではないだろうか。
天然のパン挟み係&料理長だと、ハムとチーズの間にパンが挟まっていた可能性すら十分にあった。
二つのうち一つは、きっちりとサンドイッチになっていたことにむしろ感謝するべきではないだろうか。
【②パン挟み係の怠惰】
残念だが、これはパン挟み係の意図的な怠惰によるものとも推測できる。
ここはラテンアメリカ。
人々はすぐ、サボりたがる。
パン挟み係もその一人で、
「ワンチャンばれへん!」
と思い、パン挟みの業務を怠ったのではないだろうか。
パンを挟まないという、一見大胆にも思える怠惰が、
『ワンチャンばれない』
とパン挟み係が思った理由は、おそらくこうだろう。
この機内食が配られるのは明け方なので、車内はまだ明るくない。
乗客は寝起きだし、疲れているだろう。
ハムとチーズがパンに挟まっていなくても、バレないのではないか。
今日は早く帰って録画してたテレビ観たいし・・・
料理長のチェックもガバガバやし、いけるっしょ!☆
そう思った上での怠惰ではないだろうか。
録画があまりにも溜まっていたら、二つとも挟んでいなかったかもしれない。
【③パン挟み係の寝落ち】
ここまでは、パン挟み係を悪役として捉えていた。
しかし、実は、機内食製造会社がブラック企業で、パン挟み係をパン挟みアンドロイドとして休日返上&長時間残業でパンを挟ませ続けさせていたのかもしれない。
モンスターエナジーを飲みながらテンションの上がる作業用BGMをYouTubeでかけ、徹夜でパンを挟み続けたパン挟み係にもついに限界がきて、眠りに落ちてしまったのではないのか。
そして結局、出荷時期に間に合わず、やむを得ずパンを挟むことなく出荷したのではないだろうか。
あの機内食には、実は会社の実情を物語っていたのかもしれない。
パン挟み係のSOSだったのかもしれない。
【④職場の労働環境が良かった】
逆に、職場の労働環境が良かったという可能性もある。
『利益より、雇用者を優先』
という理念を持つ会社で、残業は禁止。
残業がまだ残っていても、定時には帰られるという快適な労働環境。
パン挟みの作業がまだ半分残っていたパン挟み係も、定時になったので帰宅。
『パン挟みより、パン挟み係を。』
というポリシーが表れた機内食なのかもしれない。
【⑤職場の財政状況が悪かった】
会社の労働環境ではなく、財政状況が悪かったのかもしれない。
現在、アルゼンチンは数十年に一度の経済の大混乱に直面している。
(これはマジの話。)
アルゼンチンペソもどんどんと暴落し、
半年前までは1ペソ≒13.5円だったのが、
現在は1ペソ≒3円になっている。
(これは真面目にヤバい話なんです。)
そんな大不況の影響を機内食製造会社も受けることに。
できる限りのコストダウンを図るが、うまくいかない。
さすがにパンやチーズを丸ごと削減する訳にはいかない。
会社がいかなる状況であっても、乗客に『おいしさ』を提供するのが我々のポリシー、
と言わんばかりに。
そこで行き着いた結論が、『パン挟み係の人件費削減』。
パン挟み係の労働時間を減らすことで、少しでも資金の流出を防ぐ。
苦渋の決断だったであろう。
ただ、二つのパンのうち一つは挟むというところが、機内食製造会社の意地とプライドを感じさせる。
あの機内食には、不況に直面する会社の苦悩と意地とプライドが表れているのではないだろうか。
【⑥挟む楽しさを共有したかった】
もしかすると、我々は根本的な部分から誤った考察をしていたのかもしれない。
そもそも、『挟めなかった』のではなく、
『挟まなかった』のではないだろうか。
挟めるのに、あえて挟まない。
そこに、何らかのメッセージが込められているのではないだろうか。
例えば、機内食製造会社は、我々に『挟む歓び』を共有したかったのではないだろうか。
安くて固いパンに、安いぺらっぺらのハムとチーズを挟む。
いかにしておいしく挟むか。
いかにしてきれいに挟むか。
それぞれが、思い思いにパンを挟む。
そして苦労して挟んだ先に、どんな景色が見えるか。
どんなNew Worldが待っているか。
この楽しさを、ぜひ乗客にも味わってほしい。
『機内食はまだ完成していません。あなたの挟みによって、初めて完成します。』
というメッセージではないだろうか。
【⑦乗客の自立を促したかった】
いや、機内食製造会社があえて挟まなかったのは、そんな呑気な理由ではなかったのかもしれない。
ひょっとすると、移りゆく時代の変化に適応できない人に対する警鐘を鳴らしたかったのかもしれない。
日本が直面する、超高齢者社会。
少子化。
それらに伴い、労働力の需要も高まっていく。
女性も働かなくてはいけない時代。
男性も家事をしなくてはいけない時代。
そんな時代の中で、パン一つ挟めない人間など瞬く間に淘汰されるという警鐘を、地球の裏アルゼンチンから鳴らしてくれたのかもしれない。
時代の変化に乗り遅れたくなければ、パンぐらい自分で挟め。
一つは我々が見本として挟んだ。
もう一つは、見本を真似して、自分で挟め。
そして、これからの激動の時代を生きていくんだ。
そういったメッセージが込められているのではないか。
【⑧素材の味も味わってほしかった】
ここまで考察してきたが、我々は更に根本的な部分で誤った考察をしてきたのではないだろうか。
そもそも、あれは『挟む』ものなのか。
ひょっとすると、これは『単品で食べろ』というメッセージだったのかもしれない。
では、挟んであるものと同じ具材であるにもかかわらず、『単品で食べろ』というメッセージを送った意図は何だったのか。
私は、
『素材本来の味をテイスティングしてほしかった』
からだと考える。
バスの乗客は、サンドイッチ通な方だと想定したのだろう。
ハムとチーズとパンが生み出すハーモニーは素晴らしい。
ただし、それぞれの素材の良さ、いわゆる『個の力』も見てほしい。
個の力があるからこそ、それらがサンドイッチと化したときにハーモニーを奏でる。
サンドイッチ通のあなたなら、それがわかるはず。
そういったメッセージだったのではないだろうか。
【⑨プロモーション活動の一つだった】
今、このように機内食の献立について議論していること自体が、実は機内食製造会社の術中にハマっているのかもしれない。
パンを挟まないことで、乗客が話題にする。
ブログに書く。
ツイートする。
インスタにアップする。
これらの行為によって、バス会社及び機内食製造会社の知名度を高めようとしているのではないか。
ゆくゆくは、『#一つは自分で挟む』のようなハッシュタグを流行させるつもりではないだろうか。
安さやサービスの良さで競合他社と差をつけようとする会社が多い中で、あえて『挟まない』ことで注目を集めようとしたのではないだろうか。
【⑩ケイスケホンダ的な視点】
サッカーの本田圭佑選手ならおそらく、こう言うだろう。
あえて、挟まないと。
挟めるのに、あえて挟まない。
サンドイッチは挟むものだと誰が決めたんですか。
一度常識を疑ってみようと。
そこで、二つのうち一つは挟まない。
変化をつける。
それによる変化こそが、伸びしろですねぇ!
そう言うだろう。
挟まないことに特別大きな意味はない。
ただ、常識を疑ってみた結果、『あえて』挟まない。
それによる変化こそが伸びしろであり、明日を楽しむチャンスにもなる。
挟まないという選択こそがケイスケホンダ(=プロフェッショナル)であると。
そういった主張を地球の裏アルゼンチンでしているのではないだろうか。
以上が私の見解である。
この見解に対する意見や、新たな意見があれば、ぜひコメント欄に記入していただきたい。
(アホな話にお付き合いいただきありがとうございました。笑)
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